渡辺松男『雨[ふ]る』
(2016年、書肆侃侃房)
この新刊におさめられた歌の制作時期は、前の3冊の歌集と重なっているとのこと。たしかに肉親や伴侶の死が既刊同様、本書でもうたわれています。
けれどもそうした出来事だけが突出することはなく、それらを内包する大きな思想や視点が歌人としての出発時からずっと保たれていることを、あらためて感じました。
本書では、存在に内側と外側があるという概念、それらがたやすく入れ替わる感覚がよく出ているようです。掲出歌は想像するとけっこうユーモラスで、ウシガエルの鈍い声が聞こえてきそう。
ウシガエルの外見も「沼地」も、いかにもどんよりしていて、理髪師に頭とともに思考まで預けてしまった感じが伝わってきます。
ところが「頭のそとがは」と言われたとたん、沼地が頭の外側、理髪店の周囲に実際にあるのではという気になります。そこまでの沼地の記述が実景めいているからです。すると理髪されているのは自身の内宇宙……?
この錯誤は、赤瀬川原平の「宇宙の缶詰」に通じるのではないでしょうか。缶詰の外側のラベルを剥がして内側に貼り直し、蓋をはんだ付けすると、缶の外側に宇宙が密封されるというアート。
渡辺さんの歌がいつもどこか哲学的なのは、この、概念と感覚の駆使による効果のなせるわざではないかと思っています。
れいれいとまひるの星のくまなきをわがそとそのままわがうちの空
藤圭子病むものの眼球[め]が病むわれの眼球といれかはり落下しにけり