あくる朝十八になる玄関の金魚はふっと縦に立ちたり

藤本玲未

『飛ぶ教室』第44号(2016年、光村図書)より

 

一昨日と同じ、児童文学の総合雑誌に掲載された無題の作品です。

まず見開きで右側に、ひらひらしたスカートの少女が逆立ちしかけている絵(塩川いづみ)、左側にこの歌のみ。本誌はB5判なので、絵本のようにゆったりしたレイアウトです。

そして次の見開きに100首を掲載。するとこの歌がタイトルにも見えますが、連作が意図されているわけではなさそう。ナンセンスな歌がつぎつぎ躍り出て、ポール・ヴァレリーの名言「散文は歩行、詩は舞踏」を思わせます。

つい最近公開された室生犀星原作の映画『蜜のあわれ』を観たこともあって、いかにも娘盛りの金魚の印象。映画で二階堂ふみ演じる金魚の娘は大変コケティッシュでしたが、「十八」のベースにはあきらかに「鬼も十八、番茶も出花」があって、どんな娘にも気分の浮き立つ日がおとずれる、と言っているようです。

縦に立つとは、ある種の自我の目覚めをあらわしているのでしょう。それまで知らなかった大人の意識が「ふっと」ひらける快さが、短い歌のなかに満ちています。

金魚が立つといえば、与謝野晶子の「きんぎょのおつかい」もありました。この奇天烈な童話がなんとなく自然に読まされてしまうように、藤本さんの歌もさりげなくたのしく、また積極的に深刻さを振り捨てている痛快さもあります。

 

生きているうろこでつくる教会にお客さまがいらっしゃる夜

これからは鬼でもおいで(ひさかたの(ひかげは(ひとかげを(追いかける

 

2016/03/24の記事に追加しました(山田航歌集『水に沈む羊』について)。

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