風の午後『完全自殺マニュアル』の延滞者ふと返却に来る

木下龍也『きみを嫌いな奴はクズだよ』

(2016年、書肆侃侃房)

 

歌集名が、なるほど、それは誰もが誰かに言われたいよねえ、とうなずくキャッチーな台詞。どの大型書店でも『嫌われる勇気』という自己啓発本を平台で見かける昨今、どんな内容であれ、「嫌い・嫌う」という語ないし感情に敏感な現代人の像が浮かびます。

 

YAH YAH YAH 殴りに行けば YAH YAH YAH 殴り返しに来る笠地蔵

あとがきにぼくを嫌いな奴はクズだよと書き足すイエス・キリスト

信号に分断されるぼく/たちのぼくだけ逃す最終電車

 

総じて機知を駆使する作風で、大喜利を見るようにも読めるのですが(笠地蔵の歌はB級ホラーみたいだし、このイエスはかなりクズ……)、どこか、他人を単純には信じない、他人との絆を簡単には受け入れないという決意めいたものすら感じます。

裏返すと、人の真心を求めてやまないからこそ、生半可な心は不要ということかもしれません。絶望というのはだいたい、他人に対してするものです。『完全自殺マニュアル』は、そんな絶望者のいわば御守りとして、20年以上にわたり読まれている本です。

自殺のノウハウから障害まで記され、その気になればいつでも死ねるという安心感、その不安定さが、掲出歌の導入「風の午後」にあらわれているように思いました。

死の想念にとりつかれながら生を延滞する人が「ふと」自殺をとりやめることもあるでしょう。周囲の者からすれば、風のように気まぐれにも映ります。

とりたてて結末もない、巧まないこの一首が、かえって新鮮でした。