むかしむかしの小川が流れてゐるやうだ芹食べてあかるく澄んでゆく咽

平岡和代『のやうな』

(2015年、私家版)

 

あとがきによると、歌に「のやうな」「のやうに」をよく使うと言われたため、そのまま歌集名にしたとのこと。周囲の人のことばを好いものとして受けとめようとする人柄がうかがわれます。

ですので「やう」という直喩が効果的に使われている歌を挙げました。コンクリートで周囲を固められたりしていないころの小川を唱歌のように歌いはじめ、「やうだ」で現在の実景ではないことを示します。

現在の行為としては、芹を食べたところ。すうっとしたその味覚がのどを通るとき、細く冷たい水の流れが思い出されています。

音数は、7・8・5・9・7とかなりの字余り。早口というより、ここではむしろ歩みがのんびりしているために丈が伸びた印象で、ゆったりした気分になります。「芹食べて」の部分のみ助詞が略されてやや緊張感をはらむのが、芹の香りのつよさに通じます。

 

子がわれに言ひしおはやうの数ほどの花ゆれてあかるし今朝のえにしだ

母はただ時間を刺してゐるやうで花ふきん今日も一枚できる

身長でも体重でもなくみどりごの測られてゐる放射線量

 

季節の移りかわりと人とのかかわりのあちこちに、たのしさが見つかります。「放射線量」は明るい状況ではありませんが、作者はうたうことにより、その災いを祓おうとしているかのようです。

歌集は小説とはちがい、本をぱっとひらいたところから読みはじめられるのがよいと考えています。そういう意味で理想の一冊でした。