ひた泣きて訴へたりし幼の日よりわが身に添へる不安といふもの

さとうひろこ『呑気な猫』

(2016年、六花書林)

 

歌集の本文ではなく、あとがきに記された一首で、「小さい時にひたすら泣いたように、中年以降の私は、想いをひとに訴えたくて、短歌を詠み続けたのかもしれません」という文章が綴られています。

おとなになると、手ばなしで泣けば楽になれそうな場面でも、なかなかそうはゆきません。意志的にそうしないというより、自然にそうはできないというか。

それは、ことばをはじめ他の表現方法を持つようになったからかもしれません。

幼児が泣くのは、幼児なりの表現方法なのでした。表現を得ることは認識を得ることであり、成長に欠かせないことながら、〈不安といふもの〉もまた生じてしまうと述べています。

不安は、悲しみや苦しみなどよりわかりにくい感情であり、意識のかなり奥、古い層にあるように思えます。すがたを見さだめられず、どう対応してよいかはかりがたいもの。

いくぶん擬人化した〈わが身に添へる〉という言い方がそうした対象化につながり、自己観照のおもむきを見せています。

作者は熊本生まれ・在住で、先月の大地震を体験されたそうです。さいわいこの歌集はぶじに発行されましたが、現在はかなりはっきりした不安をお持ちのことでしょう。

それでも、愛する猫とのつきあい同様、ものごととほどよい距離を保つ知性が救いと感じられる歌集でした。

 

荷をくくる紐が動けばがむしやらに猫が引つぱる獲物のつもりか

呼ばれては帰りくる猫全身にゐのこづち付け愉しかりしか