ふたつつめたく掌ありて白樺の幹に冬陽を確かめている

糸川雅子『夏の騎士』(2008年)

白樺はカバノキ科の落葉樹。
白い樹皮は遠目にもうつくしく、ところどころはがれて目のような模様になることがあるのも印象的だ。
晩秋の青空に映える黄葉も、冬の青空にたつ木の姿もそれぞれにいい。

掌がつめたい、と感じるとき、ほんとうにつめたいのは掌なのかふれている物や空気のほうなのかわからなくなることがある。
ひとりでいるときは特にそんなことがあって、右の掌で左にふれてみたりする。

大切なひとがそばにいるときは、ふたりは手をつないだり、肩に手をふれたりする。
じっさいに、手をつながなくても、そばにいるだけで、掌はなんとなく相手のそんざいにふれているような気になるものだ。
一首のばあい、たぶんそばには誰もいない。
じぶん自身の掌の所在無げなさびしい感じが、両の掌といわず、ふたつ、とつきはなしていった表現にあらわれている。

からっぽの掌で白樺の幹にふれる。
冬の陽のひかりはとてもよわいけれど、つめたい手でつめたい幹にふれていると、うっすらとしたひかりが、たしかにそこにとどいているのが感じられる。
主人公は、大切なひとを亡くした。
そのかなしみが、冬の陽を詠んだ一首からもじんわりと伝わってくる。
ふたつつめたく、という7音の初句が、消えてしまいそうなじぶんのこころをひろいあつめているようでせつない。

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