悲しめる暇(いとま)あらぬを許したまへ父の遺影をけさは浄むる

結城千賀子『天の茜』(平成23年、短歌新聞社)

 仏壇かどこかに父の遺影が飾ってある。作者としては出来れば毎日その前に座って手を合わせ、亡父にいろいろと話しかけたいのであろう。しかし、現実には結社誌の編集、家事、家族の世話、その他さまざまなことで毎日が忙殺されている。ある朝、ふと気付いたら、その遺影にうっすらと埃が積もっている。作者はそれを見て、しばらく父の遺影に向き合っていなかったことを悔やんでいる。そのことを心の中で父に詫びながら、写真の埃を丁寧に拭ったのであろう。怠っていたのは決して父のことを忘れていたわけではない。ただ、毎日の大事瑣事に追われて、その余裕がなかっただけのことなのだ。

 作者の父君、磯幾造氏(1917~2010) は山口茂吉に師事した著名な歌人であり「表現」という結社を主宰していたが、その父君の逝去後、作者がその結社の責任を負うこととなった。多忙な理由の大半は、他ならぬその結社誌の発行に関わることであろうから、父君も優しく許してくれるに違いない。或いは、逆に亡父の方が、結社誌の発行という重い責務を娘に課してしまったことを申し訳なく思っているのかも知れない。共に歌に関わる父の娘の深い心の交流の一首である。

 三句目が一音字余りになっているが、それ以外はかっちりとした文語である。作者の、恐らくは父譲りの、折り目正しさを感じる。

   荷台より矩形の硝子板下ろされて映れる秋天の青さ運ばる

   地下鉄を出でて広ぐるパラソルに晩夏の日照雨(そばへ)きらめきて過ぐ

   平らかに台船停(とど)まり溶接の炎(ひ)とその投影(かげ)と水に閃く