新婚の夏果てにけり逆さまにワイングラスの羅列のひかり

天野匠『逃走の猿』(2016年、本阿弥書店)

 新婚生活は甘美である。しかし、同時に未来への破綻の予兆をも孕んでいる。新婚の作者にそんなことを言うのも、折角の幸福な日常に水を差すようで気が引けるが、どのような新婚もその時は幸福感で満ちている。そのままずっと幸福なカップルもいるが、新婚時代の愛情が冷めて、お互いに我慢しながら暮らしている夫婦も多いだろう。そして、その我慢が限界に来た時に破綻する夫婦も決して少なくはない。

 つまり、あらゆる新婚カップルは破綻の可能性を潜在させている。その比喩が「ワイングラスの羅列のひかり」なのかも知れない。ワイングラスは薄手のガラスで作られており。扱いが難しい。丁寧に洗うのだが、ややもすると洗っている途中で流しの隅にぶつけてしまい、壊してしまう。美しく華やかなワイングラスを常に破壊の可能性を秘めている。

 お洒落なパブなどに入ると、カウンターの上などにラックがあって、沢山のワイングラスが逆さまに吊るされて。吊るす方が水切りが良くて、バーテンダーが直ぐに取ることができるからだろうと思うが、逆さまに吊られたワイングラスの羅列は、美しさ華やかさと同時に、いかにも危さを感じさせる。もし今地震が身が来たらこれらのワイングラスは一瞬にして落下して、美しく砕け散るに違いないと思う。

 この一首は文字通り解釈すれば、新婚の夏の終わりに逆さまに並んでいる沢山のワイングラスの光を見た、ということなのだが、その「逆さまのワイングラスの羅列の光」jはそのまま「新婚の夏」の比喩になっている。「夏果てにけり」も、狂おしい、或いは幸福感だけに満たされた新婚時代の一時期の終焉を意味しているようだ。そしてその後の、常に壊れやすいイメージを伴う夫婦生活を思させる。新婚の作者が、既にしてその可能性、夫婦生活の脆弱性を予感していることに注目したい。

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    「けっこん」が「血痕」にまず換わりたるわがパソコンをいぶかしむ夜

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