せめて冀求[こひねが]ふ――――。見事に霽れた朝[あさ]、バッハを聴きながら死ぬことを

石井辰彦『詩を弃て去つて』

(2011年、書肆山田)

 

一昨日に引用した久我田鶴子さんの歌集のはじめのほうに〈人類に死に絶えなさいなと言ふことの石井辰彦いづくへ征くや〉という歌があり、なんとなく、参照元の歌がおさめられた上の歌集をひらきました。

特殊なレイアウトの歌集なので正確に写せませんが、

 

てな次第[わけ]で、人類[ジンルイ]に告ぐ[以下14字空白]――死に絶えなさいな! 無慈悲な神もろともに

 

という歌で、『詩を弃て去つて』の発行年月日が奇しくも東日本大震災の直後だったことを思いだしました。もっとも、有史以来あまたの天災・人災により人類はいくたびも死にそうな思いに直面してきたわけですが。

死にそうな思いは、しかし、歴史という視点からすると個人レベルの些細なことでもあり、歴史の醜い面に目を向けるかぎり、人類がけっきょく生き延びているつまらなさを感じるのも、文学の自由です。

詩歌のなかで死を思ったり、自身の理想の死に方を考えたりすることもまた。

好きな音楽を聴きながら死にたいという人はけっこういると思います。とくにバッハのポリフォニー(独立した声部を複数かさねる音楽)には情緒を抑制しつつ精神を昂揚させるところがあり、ものがよく見とおせる状態、〈霽れた〉心もちで逝けるのではという夢がかきたてられます。

歌集名も、最終章に付されたエピグラフからアルチュール・ランボーの生き方に寄せたものだとわかります。

死に方を夢みることと生き方を夢みることは同義です。