晩年を蘭に憑かれて生きにしは神を殺した男ダーウィン

日高堯子『雲の塔』(平成23年、角川書店)

 「種の起源」の著者であるイギリスの自然科学者、チャールズ・ダーウィン(1809~1882)は、全ての生物種が共通の祖先から長い時間をかけて、彼が自然選択と呼んだプロセスを通して進化したことを明らかにした。いわゆる「進化論」である。現代では当たり前とされているこの考え方も、神が生物を想像したという聖書の教えが一般的に信じられていた当時は、受け入れがたいものでり、特に宗教界からの反発は激しかった。その意味ではダーウィンは確かに「神を殺した」と言えよう。ダーウィン自身は「この理論が受け入れられるのには種の進化と同じだけの時間がかかりそうだ」と述べたと言われる。しかし、少数の彼の支持者とその後の自然科学の研究の進歩が彼の考えの正しさを証明した。もっとも現代でもごく少数ながら進化論を求めない人たちもいるようだが。

 彼は晩年まで生物学の研究を続けたが、研究とは別に、蘭の花を愛したようだ。自分の理論がなかなか受け容れられないという孤独感が、あの華やかではあるが、どこか寂しさを感じさせる花に向かわせたのであろうか。ラン科の花の特徴は、下向きに垂れる一枚の花弁(「唇弁」と呼ばれる)だけが他の花弁とは形が違っているということである。このことも晩年のダーウィンの心と重なるところがあるのかも知れない。

 観察と実験に基づき過去にない独創的な理論を打ち出し、既存勢力から激しい反発を招いたた男の晩年の孤独と、華やかながら他に類を見ない特異な花弁の構成をもつ花の取り合わせに、この一首の作者は心を留めた。特に「憑かれて」とう情緒的な言葉が読者の心を突く。一見素っ気ない直述の作品であるが、人間の心の深淵に刺さる作品である。

    なかぞらは茜の棲み処(か) 肉体をはなれた母音ひびきあいつつ

    母はいま全霊かけて今朝のこと二時間前の母さがしをり

    さびめば蝙蝠きたちちりちりと蝙蝠きたり 貌のちひささ