小島ゆかり『折からの雨』
(2008年、本阿弥書店)
「夏の月御油より出でて赤坂や 松尾芭蕉」という詞書のある歌です。
御油も赤坂もいまの愛知県の地名で、東海道五十三次の宿駅でした。その間が短いので、夏の夜が明けやすく月の出が短いことの喩えになっているそうです(山本健吉『芭蕉全発句』講談社学術文庫を参照)。
ひとつの句にふたつの雰囲気ある地名が無理なく入った句、その蕉風の“におい・うつり”をさらにさりげなく現代に適用しているとはいえ、やはり無理なく雰囲気を味わえるのが掲出歌。
ビル街とあるので、東京の赤坂でしょう。テレビ局や劇場などがあり、昭和歌謡にたびたび出てくるため、若者よりは大人向けのイメージのある繁華街です。
歌のなかに直接〈赤坂〉は出てこず、掛詞〈あか(明)し〉でほのめかされています。
人びとがビールで乾杯していそうな雨上がりの赤坂で、月を見上げて〈御油〉を連想した(実際にしたかどうかはともかく、そういう設定)というのはいかにも文人の行為ですが、あかし、むかし、出でし、という三連符のような脚韻のリズムが先立ち、読者をえらばず語りかけてきます。
『折からの雨』は雨と風にかんする各地の気象用語に取材した、作者にしてはブッキッシュな異色の歌集ですが、たとえば「おきむらだち(愛知)=東から来る夕立」と左注のある次の一首も子どものようにたのしげで、なるほど白秋系の歌だなあ、と思ったしだいです。
むらむらとおきむらだちの気配して祖母のいぼいぼ胡瓜食べたし