その旅は行けなかつたと言へぬまま紅葉はどうかと聞かれてゐたり

北神照美『カッパドキアのかぼちゃ畑に』(平成24年、角川書店)

 例えば、秋に京都へ行く計画があって、そのことを親しい人に話したりする。ところが、何らかの事情があって、その旅行を中止せざるを得なくなってしまったが、中止したことをその人には話しする機会がなかった。ところが、その後その人とたまたま会ったりすると、「ところで京都の紅葉はどうでしたか?」などと聞かれる。往々にしてあるような話である。

 その質問に対して作者がどう答えたのかは示されていない。正直に答えるのなら「事情があって行けませんでした」ということだろうが、その答えをするには多少の勇気がいる。相手が気を悪くするのではないかと危惧してしまう。旅行を中止したことを伝えなければならない相手ではないが、相手は、自分が軽視されたと思ったりしないだろうか。落胆したりしないだろうか、などと思ってしまうのである。

 相手の気持ちをおもんぱかると、旅行に行ってきたことにして、適当に話を合せることもあろう。テレビのニュースの情報を参考してして、「きれいでした」とか「少し早かったようです」とか答えて。相手も軽い気持ちで聞いたのであろうから、それ以上に突っこんで聞かれることはないだろう。この場合、その場はそれで何事もなく済むのであろうが、作者の心には、偽りを言ってしまったという意識が棘のように残ってしまう。

 果たして作者はどう答えたのか。それは示されていないが、歌集の中に「前にもここへ来たこと忘れてゐるあなた初めてのことにしてもいいけど」という作品があるので、常に相手の気持ちを大切にしている作者なのだろう。ただ、ここで作者が言いたかったことは、その答えではなく、その場のなんとも居心地の悪さだったのだ。

       蔵の前に鮭がずらりと吊るさるる朝焼け雲から落ちてきしごと

       傘持つとどこまでわが手かわからなくなりて今夜の雨痛し

       熱気球わえらを乗せて落ちたる日 カッパドキアのかぼちゃ畑に