わたしの影が私の鍵穴であるやうに霧雨の空を飛べる黄揚羽

江田浩司『想像は私のフィギュールに意匠の傷をつける』

(2016年、思潮社)

 

薄くて軽いけれど文字の詰まった一冊から。

行分けされたフリーヴァースのなかに短歌や俳句等の定型詩を埋め込んだ体裁をとっていますが、分量的には短歌が中心の作品集といえます。

掲出歌は「わたしの影が……」と題された一連(一篇?)で、草間彌生さんの詩がエピグラフとして置かれたのち、30首(30行?)の歌が並んでいます。

 

わたしの影が私の愛人であるやうに一本の紐が垂れる日常

 

に始まり、

 

わたしの影が私の檻であるやうに厠にしやがむ永久[とは]なるうつつ

わたしの影が私の地図であるやうにアブストラクトするは黄昏[たそがれ]

 

など実景と観念を行き交う歌が展開されます。くっきりした漢字の〈私〉は自我の輪郭を示しているでしょうか。

〈わたしの影〉はいささかぼんやりしており、それが鍵穴だという発想をおもしろく思います。影は、離れたくても離れられないという点では檻、体の形を平面に写しとる点では地図にちがいありませんが、鍵穴といわれると自分が鍵になって解錠し、自分の外へ出てゆくかの幽体離脱感があります。

じっさいに霧雨の空に黄揚羽を見て詠まれたのか、そうだとしても、霧雨をくぐる、超えるといった運動性には、どうしても“あちらがわ”としての異界を想わずにいられません。

胡蝶の夢の故事を引くまでもなく、自己と他者、現実と夢などが入れかわる現象、というより融けあった状態を、つねに追う作者です。

それは詩型の融合の喩にも見えます。