初老なる父が紅葉す陽に焼けし木の実ひとつぶ懐に抱き

松野広美『二月の兎』(2009年)

今年は、気象などのおかげで紅葉をながめていられる期間が長いそうだ。
ここのところ、自転車で駅にむかうだけでも、公孫樹や桜などの紅葉がたのしめる。
車窓から見える木は、木ごとにちがう色をしていて、そのぶん山は立体的に見え迫力を増す。

さて、そんな紅葉。
よく人間の人生の後半にたとえられる。いわば、それまで経てきた生きざまの結晶、あるいは生の終盤、といったイメイジだろう。
その比喩じたいの善し悪しはべつとして、この歌は「初老なる父」を「紅葉す」と言い切るところがおもしろい。

とくに下の句は独自の感性がひかる。
「陽に焼けし木の実ひとつぶ」は、読者はそれぞれイマジネーションを持つだろう。
父の人生を、子の眼をとおしてみたとき、それは懐かしさと寂しさと憧れが混ざりあう複雑な色合いだ。掬い取りにくい感情を「陽に焼けし」とうまく言葉におきかえている。
また「懐に抱き」には、老いた父のあたたかな佇まいをおもう。
どの表現も「初老なる父」への敬意に貫かれていて、気持ちのよい一首だ。

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