扇風機を胸に抱きてはこぶときしづかにまはる透明の羽根

大辻隆弘『夏空彦』

(2007年、砂子屋書房)

 

大辻さんの歌集はどれもタイトルが素敵で、夏はやはり『夏空彦』を手にとりたくなります。

前登志夫さんの『青童子』も連想しつつ。

本日は日付としては立秋をむかえていますが、扇風機はまだ必需品。といっても高層ビルでの生活や勤務はどうしてもエアコン利用が中心で、扇風機は卓上型やパソコンにつなぐ小型のものを補助的に置くことが増えました。

ですので抱いて運ぶ大きさの扇風機となると、一軒家かそれに匹敵する広さの家屋での光景に思えます。そっと運んでいるらしいのは、うたた寝している家族が側にいるためかもしれません。

やや構図の似た寺山修司の歌〈売りにゆく柱時計がふいに鳴る横抱きにして枯野ゆくとき〉に見える念の濃さはなく、ただ、小さな家庭の静かな暮らしを胸に抱いて生きる人の息づかいを感じるばかりです。

電源が入っているなら「弱」で動いているのだろうし、入っていないなら抱えあげたはずみに羽根がゆるく回転したのだろうと考えました。

透明といってもふつう羽根には色がついています。昭和のころは青や緑系統が多く、羽根ごしに向こうを見るのは海をのぞくような気がしたものです。

心象的ななつかしさに加え、扇風機という語の古風な情緒もあらためてたのしみました。

 

七回の表が終り雲の間のひかりはサードベースをよぎる

金網に這ひのぼりゆくゆふがほの細婉[さいゑん]の蔓ひきはがしたり

くまぜみの翅のねもとに羽化したる夜明けのままのみどりが残る