甲高くをさなが母を呼びてゐる 黄落のもたらす不安ならずや

松坂弘『安息は午後に』(2012年、砂子屋書房)

 秋の野の光景であろうか。甲高い声で子供が母親を呼んでいる。子供の声は元々甲高いものであるが、秋の澄み切った空気の中で一層甲高く聞こえたのであろう。なぜ、子供は母親を呼んでいるのか。それは不安感に駆られたからだと言う。母親が不意に視野から消えていってしまうような不安感であろうか。

 その不安感はどこからきたのであろうか。作者はそれを「黄落」がもたらすものだと考える。晩秋になると自然の摂理として樹々は紅葉し、やがて自ら葉を落とす。少し前まで青々と繁っていた葉がみるみる色を変えて、落ちていくのである。我々大人はそれを来春の葉の再生のための仮死だと理解しているが、小さな子供には、それは永遠の死の予感以外の何物でもないのであろう。そして、自分の母親がその死に拉致されていく不安にいたたまれなくなるのだ。その結果、母親をこの世に繋ぎ止めておくために母を呼ぶ。それも甲高い声で。低い声では母をこの世に繋ぎ止めておくことができないかのように。

 歌集では引用歌を挟んで次の2首が置かれている。

      風立ちぬ、いざとつぶやく。黄落をよぎり行きたる者の気配す

      裸木の空たかだかと数枚の枯れ葉舞ひゆくつかずはなれず

 これら3首を並べて読むと死のイメージが一層濃くなる。

      青空にポプラは若葉競り上げて日がな地球をゆすりゐるなり