飲食[おんじき]の最後にぬぐう白き布汚されてなお白鮮[あたら]しき

錦見映理子『ガーデニア・ガーデン』

(2003年、本阿弥書店)

 

白という色の印象の強さについて、刊行時から指摘されてきた歌集中の一首です。

書名の「ガーデニア」もクチナシの洋名。花は白く静かなたたずまいながら濃い香りで知られるように、錦見さんの歌も端正な姿に重い意味を負うことが多く、読み飛ばせません。

白色のイメージについて考えてみると、透明と違って無ではないものの、「白紙委任」などのことばがあるとおり、自分の考えを止める、他者に委ねるといった放擲感覚があるでしょう。

あるいは実体験として、白い服を着て食事をしたときその布にソースを飛ばしてしまったりすると、他の色の服の場合よりショックが大きい。無防備な色といえます。

食事どきにおいてナプキンは、人々が積極的に汚す唯一の白布です。テーブルクロスなどにうっかりこぼすのとは違い、罪悪感をもつ必要がないので、ささやかとはいえ贅沢をしている気持ちにもなれます。

掲出歌は、汚れゆえにかえって布の白さが意識されたことをうたっています。「意識された」と書いたのは、うたいぶりがどこか受け身だからです。

布の汚れを見つめたら、布の白さに見返されたような。自分のなかの白くない部分を、「汚され」た布に照射されたような。

穿った読み方かもしれませんが、この歌が「風葬と密会」という題の章にあるため、後ろめたさのような感情をうかがうことも可能に思えます。

白は、心を追いつめる色でもあります。

 

かなしみはかなしみのまま中空に一艘の白き舟発たしめよ