石川浩子『坂の彩 さかのいろ』
(2016年、ながらみ書房)
前々回、錦見映理子さんの歌集『ガーデニア・ガーデン』におけるガーデニア(クチナシ)のイメージについて若干触れましたが、本日はハイビスカスです。
色でいうと、多くの人がまず思い描くのはおそらく、彩度の高い紅色です。
この歌では夜が背景になっていますから、いっそう鮮やかに見える気がします。
歌の前半は昨今よくある事情で、ふだんは離れた場所にいる家族がいるということのようです。この歌だけでは、日ごろ三人暮らしで月に一度だれかが戻ってくるのか、それとも五人暮らしで月に一度だれかが出かけてしまうのか、など読者には判断できませんが、四という数字が現実への定着につながる(それは椅子や机の脚の数、あるいは季節の数でもある)ことを考えて前者としておきます。安定の回復を感じます。
ハイビスカスの明るさは希望をあらわしているでしょうか。
他の歌では父の病にたびたび言い及んでいます。夫との別れ、父の他界がうたわれ、動揺と孤独を伝えてきます。するとハイビスカスの華やかな色もいくらか遠のき、手のとどかないところで群れ咲いているように思えてきます。
ハイビスカスになにかの意味を求めすぎないほうがよいかもしれません。
たまさか寄り添う家族の生と、闇にほんのりひらく花の命とが呼応していたこと。その存続への願いが書きとめられた、うつつと幻のあいだの歌とも読めるでしょう。
もう少し話していたい娘なりあなたの子としてうつし世かの世