今日一日身を鎧いいしジャケットの型くずれたり椅子の背が着る

永田淳『湖をさがす』(2012年、ふらんす堂)

 スーツやジャケットは男性の鎧であると言われる。昔の武士が鎧を着て戦場で命のやり取りをしたように、現代の男性も熾烈なビジネスの場ではたいていスーツを着る、少し緩やかな職業の場合でもジャケットを羽織るであろう。もっとも、誰の歌だったか忘れたが、女性歌人の作品で”スパンコールで鎧って町へ出る”というような歌があったので、男性も女性も、仮想敵が想定される場へ出るときは鎧が必要なのである。

 作者は出版社を経営しているので、普通のサラリーマンよりは多少ラフはスタイルなのであるが、それでも仕事である以上余りにもラフ過ぎるわけにもいかず、顧客との打ち合わせの場ではジャケットを着るのであろう。一日の仕事を終えて帰宅し、ジャケット脱いで椅子の背にかける。自らが脱いでかけたそのジャケットを見ながら、作者は、その型がひどく崩れていることに気が付く。型が崩れているのは、その一日、長く着ていたり、暑かったり、運動をしたりなどの理由によるものであるが、その崩れ方はまるで作者のその一日の疲労の嵩の象徴とも見えるのだ。

 結句の「椅子の背が着る」という擬人法にも注目したい。書斎の椅子か、食卓の椅子か、いずれにせよ、デザイン性はあるにしても、それよりは機能性を重視した椅子だろうと思う。働くのは単に家族を養うためだけではない。ユニークな仕事をしてこの業界で一目も二目もおかれたいという野心もあるかもしれないが、そのためだけでもない。この世に生まれた自分自身の存在を確かめるために仕事をするのだ。そのことが人格化された椅子に象徴されているような気がしてならない。

       電柱に茶色く枯れて結わえられ百合はしずかに傾きていつ

       一陣の鬣ゆけり湖(うみ)の面に真夏のしろき波を生ましめ

       知っていて言わないことが多くある冬木の影が街灯に伸ぶ