冬という季節がわれに大げさな息をさせたり向かい合うとき

花山周子『屋上の人屋上の鳥』(2006年)

歌集には、はじめて読んだときにつけた附箋があちこちについている。
一首につけたピンク色の附箋には、小さな文字で「この世には二種類の恋しかない」と書かれている。
二種類の恋とは、いったいどんな恋を思い浮かべたのだったか。
告げる恋と告げられぬ恋?初恋と、それ以降の恋?片思いの恋と、両思いの恋?

附箋の文字は、自分自身が記した初読のときの感想のはずなのだが、いま読み返すと、この一首から、どんな二種類の恋を思ったのか判然としない。
一首の短歌の読みは、読む側のそのときの状況や心境に左右されるところがある。
無責任のようだが、それもまた面白さだ、とも思う。

冬の日の、たぶん朝の光景だ。
大げさな息、とは冬のつめたい空気に凝結した、白い息のことだろう。
足早にかけよって来て、すこし乱れた息のような感じがする。
相手との距離の近いことを、息がかかるくらい、ということがあるが、白く目に見える息は、思いがけずふみこんでしまった相手との距離を主人公に意識させた。
白い息は、自分のなかでたかまりふくらんだ相手への思いそのもののようで、それがあらわになってしまったことに戸惑いを感じている。

一首には、きみとか、あなたとか、恋人とかいう言葉は使われていない。
大げさな息、と、向かいあう、という言葉で切りとられた1シーンから、ういういしい恋のはじまりの緊張感が読者にしっかりと手渡される。
主人公はもう、相手に気持ちを告げたのだろうか。
ふたりはもう、たがいのくちびるに触れたのだろうか。
どきどきする相手は、やがていつか、一緒にいてほっとする相手になる。
二種類の恋、とはそんなことに関わりのあることだったような気もする。

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