木々が枯葉を落とすみたいにかなしみを手放してゆくひとになりたい

白川ユウコ『乙女ノ本懐』

(2015年、六花書林)

 

前々回にご紹介した同人誌『COCOON』にも参加されている白川さんの歌集は、書名、地名、薬剤名などの多様な語彙が思わぬ方向から飛んでくる作風で読者としても右往左往させられるなか、ふーっと長めのひとふしを笛で奏でたようなこの一首がいまの季節の気分によく合います。

そういえば、多田智満子の詩「葉が枯れて落ちるように」は、次のように始まります。

 

葉が枯れて落ちるように

人は死ねないものか すぎてゆく季節のままに

 

また、中島みゆきには「悲しいことはいつもある」という歌(song)がありました。それらを思いだすと、上掲の歌(tanka)は、死に方を考えることはすなわち生き方を考えること、というひとつの想念が浮かびます。

樹木が葉を落とすのは、老いることではなく、あくまでも気温に合わせた変化の一種であるいう言説を聞いたことがあります。人間も〈かなしみを手放〉すことで変わってゆければという、前向きな願いが読みとれます。

 

わがもとをいずれ去り行くものなれど集めてしまうレターセットを

 

筆不精だとレターセットを集めても溜まってゆく一方なのですが、白川さんはよく手紙を書くのでしょう。言いたいことがいつもたくさんある感じが、歌集全体の饒舌な雰囲気と一致しています。

 

かわいた音ひびかせながら長箸でだれかが拾うわたしの恥骨

 

自分の死を想像していてもどこかアクティブというかアグレッシブというか。私を見て! と無邪気に語りかけてくるかのようです。