森茉莉は美少女なりきひとめぐりすれば老婆となる鷗外展

水上比呂美『潤み朱』(2014年、柊書房)

 森茉莉(1903~1987)は森鷗外とその二人目の妻志げの長女であり、小説家、エッセイストとして活躍した人である。写真を見ると、美人かどうかは別として、鼻のあたりが父鷗外の面影を留めているように思える。鷗外はこの茉莉を溺愛し、彼女は16歳まで鷗外の膝の上に座っていたという。

 「なになに展」というような展示会では、通常、来場者は主人公の実人生に沿って巡るように資料が展示されている。その出生の時代から、少年時代、青年時代、中年、老年、そして死へと展示のルートは設けられてある。鷗外ともなれば、それぞれのステージにおける資料は豊富で華やかであろうと思う。そして、最初の妻、登志子と離婚したあと、1902年に鷗外は大審院判事荒木博臣の長女、志げと再婚し、翌1093年に長女、茉莉が誕生している。展示会でもそのような経緯は説明されているに違いない。そして、それ以降は鷗外と一緒に写っている茉莉の姿もあるであろう。最初は赤ん坊として、そして、多分、鷗外の死後のコーナーに老婆として。一緒に暮らしていたのでなければ、大人としての茉莉の写真は展示されてなかったかも知れない。

 作者は展示会を廻る途中で見た茉莉の写真を見て美少女だと思った。しかし、展示会の最後の方では老婆としての茉莉の姿を見て、展示会を出場した。まさに、ひとめぐりしている間に森茉莉は美少女から老婆になったのである。鷗外の写真は順を追って展示されているから、鷗外が徐々に年を取っていく様子は伺われるに違いない。しかし、茉莉は少女からいきなり老婆になっていたのだ。それは不思議な感じがしただろうと思う。まるで、大木の向こう側に入った少女が一秒後に大木の反対側から出て来た時に老婆になっているように。途中の時間がすっ飛ばされたようにも思ったかも知れない。それは不思議な感覚であろう。作者の微妙な戸惑い伝わってくるような一首である。

     八月が巡りくるたび戦死者は幾度も幾度も死ぬ記憶の中で

     「結婚はビミョー」と言ふ子ブラウンのコートのボタンあごまで止めて

     麻織のベージュの上着皺みゐて八十の父姿勢よかりき