僕らには未だ見えざる五つ目の季節が窓の向うに揺れる

山田航『さよならバグ・チルドレン』(2012年、ふらんす堂)

 歌集名の「バグ・チルドレン」とはどんな意味なのであろうか、穂村弘の解説にも作者の後書にも直接的な説明はない。「バグ」とはもともとは虫の意味であるが、転じてコンピュータープログラムの誤りや欠陥を意味する。バグがあるとプログラムは正常に作動しない。従って「バグ・チルドレン」とは、”普通の生社会活が難しい子供”というような意味なのであろうか。

 季節には春夏秋冬の四つがある。しかし、作者は「五つ目の季節」があるのだと言う。春夏秋冬以外の季節が。春夏秋冬の四つの季節が巡るのは自然の摂理である。そのことに誰も疑問を持たない。しかし、この作者はそのことに疑問を持ったのだ。五つ目の季節があるに違いない。誰にも見えないけれどそれは確かにあるはずだ。春の桜、夏の入道雲、秋の紅葉、冬の雪のような誰にでも見える季節の象徴があるが、その五つ目の季節の象徴は何だろうか。それは誰にも見えない。しかし、「未だ見えざる」という表現には、それはいずれは見えるはずでであるという期待が感じられる。

 下句の「窓の向うに揺れる」という表現も深い意味を潜めているようだ。「五つ目の季節」は、窓の向うにあるように、直接感じることは出来ない。しかも揺れているという。「五つ目の季節」はそんな不確かさ、もどかしさなのである。

 現代という時代は青年たちにとって生き難い時代なのだ。就職難、結婚観、育児難、様々な困難の中で彼らはあえいでいる。多くの若者はあえぎなららも必死で生きている。そんな中である者は社会規範を逸脱し、まあある者は自らを社会から閉鎖していく。しかし彼らはその生き難い現代社会の外側に何かを感じ、それを希求しているのだ。容易には確かめることが出来ないその何かは、”窓の向うに揺れている五つ目の季節”のように頼りないものだが、しかし、確かに存在するはずなのだ。この歌集には、そんな現代の若者の叫びや希望や本音が満ちている。

     ああ檸檬やさしくナイフ充てるたび飛沫けり酸ゆき線香花火

     鉄道で自殺するにも改札を通る切符の代金は要る

     くれなゐをいまだ知らざる脱脂綿ねむれる薬箱をかかへて