月出でて棹影しかと水にあり付箋のごとく ここに 見えるか

小津夜景『フラワーズ・カンフー』

(2016年、ふらんす堂)

 

できたての句集『フラワーズ・カンフー』は、しおたまこさんによる花模様のカバー画がおしゃれ。うきうき読んでいたら急に短歌15首が出てきたのでびっくりして、挙げてみました。

川か湖に舟で出たとき、月あかりで水面に映る棹の影が付箋のようだという直喩がユニーク。付箋は印刷物などに貼って使う文具ですから、水になにかが書かれているように思えてきます。

古今和歌集の詠み人知らずの恋歌〈行く水に数書くよりもはかなきは思はぬ人を思ふなりけり〉が連想されますが、片思いのむなしさを強調するこの和歌は言い換えると、人を恋うより水に字を書く行為のほうが、まだしもはかなくないという理屈になります。

疑問形とはいえ〈ここに 見えるか〉も、水の上か中になにかを見いだせることをかなり確信しているかの口ぶりです。身を乗りだしすぎて舟から落ちるのでは。水面の月を取ろうとして溺死したと伝えられる李白のように。

 

声あるが故に光を振りむけばここはいづこも鏡騒[かがみざゐ]なり

 

一連の短歌は「こころに鳥が」と題されています。八田木枯句集『鏡騒』の〈春を待つこころに鳥がゐてうごく〉へのオマージュとおぼしく、あとがきには〈俳句に捧げるインテルメッツォ〉との位置づけが記されています。

短歌は俳句より長いけれど、俳人にはその長さが息抜きになるのでしょうか。俳句には以下のように音韻を活かした作品も多くありました。

 

ゆふぐれをさぐりさゆらぐシガレエテ