桜咲くこの序破急にうつつなく残り少き時間割きをり

新井瑠美『霜月深夜』(2016年、青磁社)

 序破急とは元々は日本の舞楽から出た概念であるようだ。「序」が無拍子かつ低速度で展開され、太鼓の拍数のみを定めて自由に奏され、「破」から拍子が加わり、「急」で加速が入り一曲三部構成を成すという。そこから転じて、現在では舞楽以外の芸術、文学などの分野でも使われている言葉である。

 桜が咲くことで言えば、「序」とは蕾の段階であり、咲き始めると「破」となり、散り始めると「急」なのであろう。確かに、蕾の段階では、これからの開花を予告するものであり、開花ということは何かを破るという印象がある。そして、桜は散り始めると急ぐようにあっという間に散ってしまう。桜の開花から散るまでを「序破急」と例えたのはなるほどと思う。しかも初句で「桜咲く」と状況を提示し、それを「この序破急」と受ける文体の構造はなかなかの力を感じさせる。作者は昭和6年の生まれとあるから今年で85歳になられる。ひょっとしたら、作者は自分の人生を振り返って、その波乱を桜の花に重ねているのかも知れないと思う。少女期の序、大人になってからの破、そして、老いを深めている現在の急を。

 下句は、自分はもはや老人となったが、恍惚のうちにその桜を見ているということであろう。「時間割きをり」が結句に置かれているので、作者はここを強調したかったのだろうか。自分の残り時間を考えた時に、もっともっとやっておかねばならないことは沢山あるのに、自分はその貴重な時間を桜の花を見ることに割いているのだという。しかし、読者としては、作者の人生の後半のひと時を、美しい桜の花が飾ることにほっとする気持ちがある。

     刈り残されし蒲公英ひとつが芝のうへ臆面もなく異種が根を張る

     渓谷をおほふ樹林のそのひとつ合歓の枝葉が空に貼りつく

     何ごともボタンを押して用の足る世である人の消えゆくときも