ほんたうは一度もできたことがない至極まともな雪だるま、他

目黒哲朗『VSOP』(2013年、本阿弥書店) 

 歌集のタイトルについては帯に、”『VSOP』はVery Superior Old Pale「たいへん澄んだ古き美酒」の意である。ブランデーの成熟年数を表す符号。今を生きていることの根源を見つめ、その問いに立ち向かう第二歌集。” と書かれている。師であった齋藤史の死後、拠るべき結社を失い、信州にあって、文字通りゆっくりと熟成の日々を送っている作者である。

 雪国長野に居住し、しかも小さな子供を持つ作者だから、冬は雪だるまを作るのであろう。漫画などに出てくる雪だるまは、大小の完全な球形を二つ重ねて、炭団や炭などで目鼻を付けているが、実際に雪だるまを作ってみれば、そんなに完全な球形にはならない。最初は、手で小さな雪玉を作り、それを積雪の上に転がしながら、次第に下の雪を付着させながら大きくしていくのだが、付着する雪の量が多かったり、少なかったり、積雪の表面だけが付着したり、塊で付着したりで、出来上がりは結構いびつであり、ごつごつしている。作者の場合も「至極まともな雪だるま」は本当は一度もできたことはないと嘆いている。そのことは実際に雪だるまを作ったことがある人なら十分に納得することであろう。

 しかし、問題は一首の最後に、何気なく添えられた「他」の一字である。本当は一度もできたことがないのは「至極まともな雪だるま」だけではないのだ。「他」とは何であろうか。例えば、仕事(作者は教員)、家庭サービス、短歌の仕事などかも知れないし、或いはもっとほ他のことかも知れない。作者は本当は雪だるまのことよりも、その「他」のことを言いたかったのだ。しかし、そのことは一首の最後にさりげなく添えているだけである。ここを読み逃がす読者があっても、それはそれで構いませんよ、と言っているようでもある。

      今年また雨水のひかり〈東京にゐた頃〉といふ痛み遥けし

      馬鹿息子すぐ熱だして泣きをるにニセアカシアが濃く匂ふなり

      自転車の籠で運べば三歳の娘(こ)の生意気よ花束のやう