ひとりぶん伏せて置かれたお茶碗がちいさいものを匿う夜だ

佐藤りえ『What I meant to say.』

(2013年、文藝豆本 ぽっぺん堂

 

出典は約5×8センチメートルの豆本歌集で、歌は左ページのみ1首掲載。8字ごとに改行しているため、上掲の歌は4行表記です。

本そのものも印字もまさに〈ちいさい〉サイズで、〈伏せて〉〈匿う〉の秘密めかした語感に合っています。

ここで〈ちいさいもの〉ってなんだ、ということになりますが、方程式の未知数xみたいに、そのつどの気分でいろいろ代入できそう。

コオロギ、妖精、魂などという発想ならメルヘン的ですし、ちょっとした慰め、あるいはわだかまりといった心理に結びつけるのでも。ひとりぶんの茶碗というとさびしげにも聞こえますが、同居人が帰宅の遅い作者のために配慮して先に就寝したのかもしれないし、独居の人の歌と見なしてもさしつかえない。

作者の状況や属性(年齢など)はむしろ打ち消して、ただ茶碗のなかの空気、“なにかある”気配だけに向けて心を澄ませるのが、よい読み方のように思います。

近年はパソコン・プリンタの発達もあって豆本の個人製作・販売が盛んです。通常サイズの歌集ですと、家集という語もあるくらいで一歌人が建てた一軒家なみのアピールがあるのに対し、豆本の小ささは密書めいて、それらを読むことにはどことなく窃視に通じる快感があります。

結句が断言するとおり、ひそやかな夜の感覚です。

 

星に名を/犬に眠りを/コーカサス地方に雨を/ワインに栓を [原歌は/で改行]

きりぎしのはたてへ行ってしまおうか ちいさな炎をにぎりつぶして