不自由な位置に貼りつきコンセント叱られつづける二十数年

冬道麻子『五官の束』(2003年、青磁社)

 家を建てる時は、家具の配置や生活のパターンなどを想定してコンセントの位置を決める。しかし、実際の生活を始めてみると、必ずしも事前の想定通りとはならない。その結果、コンセントの位置が箪笥の裏側になったり、机の下になったりする。もちろん延長コードなどを使う方法もあるが、見た目がよくない。責任はコンセントではなく人間の方にあるのだが、気の毒にコンセントの方が叱られる結果となる。それも「二十数年」間も。「貼りつき」という表現が面白い。家を建ててしまった以上、コンセントの位置の変更は困難である。普通は壁に埋め込んであるが、まさに貼りついている印象がする。

 この一首はそんな生活の一面をユーモラスに歌っている。しかし作者の事を少し知っていると、別の読み方が出来る。大岡信氏の帯文の一部を引いてみる。「青春まっただ中の時期に筋ジスを発症し、以来永らく臥床闘病中の冬道麻子。介護するのは母であり、その傍らに耳の遠くなった父もいる。悲しみも不安も味わいつくした半生だろうが、彼女の歌はその健気な向日性そのものによって、読む人の胸に深く沁みる。」

 作者は、コンセントに自分自身を重ねているのかも知れない。若くして難病を発症し、以来、数十年間ベッドの上にあり、心ならずも父母の手厚い介護を受けている作者は、自分こそ「不自由ないいに貼りついたコンセント」だと思っているのかも知れない。介護する父母も次第に老いていく。老い父母に心配と苦労を駈け、先々の不安もあろう。誰も叱りなどはしないのだが、作者は自分が神様に叱られているように思っているのではないだろうか。

 しかし、作品は明るい。短歌が作者を支えている。大岡氏の帯文を再度引用してみたい。「歩くことさえできない人が、身近な人たちへの深く熱い思いを、抑制された表現で歌う時、短歌形式でしか表せないない種類の、生活の中に波うつ抒情がほとばしる。」

     初蟬に疾く逢いたしと七月のわれは五官の束となりゆく

     小鳥らのあわれ見事な生きざまよ己が骸(むくろ)を何処に隠す

     日向より拾いきしとう金色(こんじき)の今年の公孫樹てのひらに受く