脱ぎてある君のYシャツ腕まくりしたままなれば解きてやりぬ

大西淳子『さみしい檸檬』

(2016年、柊書房)

 

歌集は新婚生活のストーリーをなしており、流産や義父の急逝という不幸があわただしく起こるなか、夫と睦まじく暮らすようすを伝えてきます。

掲出歌でおもしろいのは、夫自身ではなくその衣服の抜けがらめいた状態を通じて、働きざかりの若さ、肉体性を感じさせるところです。

折った袖を伸ばしてもそれを着ていた人の疲れがとれるわけではないのですが、いたわる気持ちが〈解きてやりぬ〉という動詞の選びになかば無意識にあらわれています。生活や労働におけるしぐさには、ゆたかな意味合いがあるものだと思わされます。

作者もあたらしい土地で職を得ました。

 

三十代、既婚、経理の同僚は激辛ラーメンすずしくすする

二十代後半未婚の先輩はサラダひとつでランチをすます

 

この2首は説明的ながら、観察者つまり作者が三十代以上の中途採用者であることを端的に物語ると同時に、食事を通じて職場の人の個性を描き、ちょっとしたドラマの一場面のようです。

Yシャツやラーメン、サラダといった事物に託した人物スケッチが得意であることがうかがわれます。

 

もの言わぬ欅に添いてもの思う四十代は寂黙のとき

青春はさみしい檸檬あのころの理想に遠い今をいとしむ

 

夫と睦まじく、といってもお互い多忙であれば距離感もあり、つねに心を通わせられるわけではありません。

作歌することはそんな自己をいとおしむことであり、だからこそ、悲壮になりすぎない軽やかなリズム感が肝要なのだと思います。