石の肌は(かつて内部であつたこと)舗道に冬のひかりをかへす

魚村晋太郎『花柄』

(2007年、砂子屋書房)

 

きらびきの紙と布による継ぎ表紙の、所持していることがうれしい歌集。

春っぽい題名のわりに、秋から冬のひんやりした歌が多い印象です。

掲出歌はパーレン(丸括弧)表記がやはりポイントで、舗道用に加工された石の表面が以前はその〈内部〉であったという認識の視覚的な表現にもなっています。

と同時に、パーレンは声に出されないことばの表現にもよく用いられる記号なので、だれかの思考のようにも見えます。敷石を見ている人の考えととるのが自然ですが、石自身が切り出される前のことをぼんやり思い出しているような口調でもあります。

どこか擬人化がはたらいているように見えるのは、そうした口調のためだけでなく、石の表面を〈肌〉としていることにもよるでしょう。

石の肌という言い方はとりたてて特異なものではありません。ただ、冬の弱い光に石の体温を感じとる、そんな無意識を浮かびあがらせる比喩として機能していることはたしかです。

 

空に近い枝の方から色づいて鴨脚樹[いちやう]は冬に傾ける耳

 

イチョウはなるほどてっぺんから黄葉するなあ、と気づかされるとともに、銀杏でも公孫樹でもない漢字表記の〈脚〉、そして〈耳〉と、肉体の一部を連想してしまう癖こそ作者の個性、性癖であると思わされます。

人肌の温みを恋うからこその、ひんやりした印象なのかもしれません。

クリスマス前にふさわしい歌を、最後に。

 

借りた詩集二冊かかへて逢ひにゆく街は一神教のざわめき