光森裕樹


シクラメン選りいる妻をデパートに見て年の瀬の街にまぎるる

上野久雄『夕鮎』(不識書院:1992年)

*表記は『現代短歌文庫45 上野久雄歌集』(砂子屋書房:2003年)に拠る


 

◆ おなじ街という感覚 (1)

 

年末の忙しない時期に、ふとデパートの花屋に妻を見かけた。どうやらシクラメンを選んでいるようだ。しかし、妻に声を掛けることなく、私はそのまま雑踏のなかに戻っていった――

 

そんなさりげないスケッチの歌であるが、私にとっては、上野久雄の歌のなかでもとりわけ好きな作品だ。年末の雑踏のざわざわした<動>の要素と、妻がシクラメンを選んでいるという極めて強く焦点が当てられた<静>の要素の対比が、互いに引き立てあっている。

 

妻が選ぶ花がシクラメンであることが遠目にも分かる、ということは植物ついて明るいのだろう。しかし、複数の種類があるのか、形や大きさが違うのか、妻はそのシクラメンをさらに厳選しようとしている。こういうところに、夫婦それぞれにとっての花に対する<解像度>の違いが感じられるのが印象深い。生活を伴にする<ふたりの一人>は、ある日の街に接近しつつ、当然のように接点を持たない。

 

シクラメンは家に飾るものだろうか。そうでないとしても、妻は晩餐の会話に花屋に行ったことを話すかもしれない。そのときやはり夫は、街で妻を見かけたことを言わないような気がするのである。言うほどでもないことと、ちょっとした秘密。その両方を兼ねたような、それでいて、何年たっても憶えていそうな出来事である。

 

妻の方はどうだろうか、とふと思う。つまり、妻の方も夫を街で見かけたことがあるのではないだろうか、ということである。

 

そう、実は妻も見ていたのである――

 

(☞次回、1月6日(金)「おなじ街という感覚 (2)」へと続く)