いや赤き火鉢の火かもふつふつにもゆる怒りを抑へつつ見る

岡本かの子『欲身』(1925・越山堂)

 

冬の和室に火鉢を置く暮らしがあった。手をかざして炭の火を見つめていると、火のエネルギーに心が浮き立たったものだ。火だって人間だって、おこるには元気がいる。この一首、赤々と燃える炭と、ふつふつと怒りを滾らせる人間が向きあって壮観である。

 

「怒る」というのは、「キレる」とはどこか違う。あえて言うなら「キレる」は受動的で先がない感じ。キレてしまえば元に戻すのは難しい。「怒り」は内側から湧きあがる過大な活力で、次に何かがやってくる。人それぞれではあるが、「怒る」は始まり、「キレる」は終末の感じがする。ベクトルの方向が違うような気がするのである。

 

岡本かの子は、精神を病み、愛人を作り、仏教を研究し、短歌や小説を書いた。あらゆる煩悩を抱え込んだ人だった。けれども同時に、巨大な生命力を蔵していた。それが「ふつふつともゆる怒り」である。火鉢の火と身より噴き出す怒りの対峙であり、両者は対峙しながらもやがて一体化して行くような感じがある。

 

一人息子の岡本太郎が、1970年の大阪万博で、丹下健三の大屋根を突き破ってつくった太陽の塔を髣髴とさせる。