地の上は暮れゆくばかり振りむけば出で来し穴に光の増しぬ

十鳥早苗『縄張り宣言』(2015・本阿弥書店)

 

一首だけを読むと、一瞬、作者は虫になったのかと思う。「穴」がそう思わせるのである。歌集では、前に〈いくつもの段上りきて地にたてば強き風受くビル風という〉があるので、「穴」は地下道の出口であると分るのだが、分りながらもこの歌を読むと、奇妙に感じられる。歌の作意がそこにある。

 

誰でも、地下街出口から、都会のビル街にひょっこり踏み出し立ち位置を確かめるとき、蚯蚓や蟻が地上に顔を出したときもこんなだろうかと思うことはあるだろう。彼らは、光の加減から方向や気配を感じ取り、歩き出す方角を決める。進化をとげた人間の都市生活と、下等な動物とされる蚯蚓や蟻の生態であるが、しかし、ふと、感覚的に相通じると思うことがある。十鳥早苗は、そのような日常の中に動く感覚を大事に歌っている。歌集で、この歌は〈この下の深きところにわれらゐてペットボトルの水など飲みき〉へ続く。

 

理の立った知的説明を避け、自己の感覚を信じ、感覚にそって忠実に事柄を述べてゆく。それは、ここにある自我を外へ押し広げるのではなく、感覚をとおして外部を受容し折り合いをつけてゆくことなのではないか。『縄張り宣言』は、そのような思想の在り方を提起している。次のような歌も印象に残った。時間をかけてゆっくりと読みたい歌だ。主語が、体、時、空木である点が興味深い。

 

太陽の反対側でいつせいに眠りに落つる体のすなほ

時は柚子に小さき五辨の花さかす雪のやうなる白さに点る

白花を空木はつけて黄昏に人の佇つかと見するかたまり