光森裕樹


第三次世界大戦終戦後懇親会に出席します 御欠席

伊舎堂仁『トントングラム』(書肆侃侃房:2014年)

*歌集内の表記では二重打ち消し線が用いられている


(☜1月16日(月)「伊舎堂仁は二度あらわれる (3)」より続く)

 

◆ 伊舎堂仁は二度あらわれる (4)

 

「御」と「御欠席」に引かれた二重打ち消し線が印象的な歌だ。挿絵が挟まれていることなど、目を引く要素の多い歌集『トントングラム』においても、ページを繰りつつ「おっ」と思った読者は多いのではないかと思う。

 

加藤治郎による同書の解説では、この一首について次のように述べられている。

 

 第三次世界大戦終戦の式典が催されるのだろう。われわれは戦勝国だ。あるとすれば未来のことなのに、ノスタルジックな感じもする。その懇親会の案内状が来たのだ。返信用の葉書に「御出席」「御欠席」とあるから、御を消して「します」と書き添える。このあたり妙に細密である。だからこそ一首に現実感があるのだ。

加藤治郎「過剰なイメージと繊細な自意識」『トントングラム』解説

 

「われわれは戦勝国だ」「一首に現実感があるのだ」のあたりなどは、人によっては読みが異なるかもしれない。私自身、この一首をどのように読めばいいのか長く気にかけていたこともあり、気がつけばこの歌に触れていた文章を集めていた。ゆっくりと回り道をするようだが、いくつか触れていきたい。

 

「短歌研究」2016年8月号の特集「七十一年目の八月」において、テーマ「かつての、そして今の戦争を考える」のもとに、石井僚一は「悲惨ではないものとしての戦争」という文章を寄せている。冒頭には、掲出した伊舎堂仁の歌と合わせて次の二首が引用されている。

 

戦争はビジネスだよとつぶやいて彼はひとりで平和になった  木下龍也『つむじ風、ここにあります』
笑っている 傍らの丁寧なくちぶえ 下から上へ戦争カタログ  瀬戸夏子『かわいい海とかわいくない海 end.』

 

引用した三首をもとに、石井が展開する論から二箇所を引用したい。

 

 戦争はお金を稼ぐ手段であり、「御」と「御欠席」を二本線で消すようなマナーであり、そして商品の目録である。引用した歌の作者は八五年〜八八年生まれ。彼・彼女らは情報のうえでしか戦争を知らず、そしてまた真摯であるために情報のまま戦争を詠む。

石井僚一「悲惨ではないものとしての戦争」
(『短歌研究』 2016-8)

 

 例歌の風景は「三人称の語り」であり、「招待状の文面」であり、そして「分裂的な言葉の羅列」であって、そこに〈私〉はいない。戦争というテーマを詠うとき、〈私〉は限りなく消滅に近づき、感情はどこにも至らない。この「戦争に対峙するときのどうしようもない無感情」は自我を否定されることにも似ていて、故に戦争について考えることを強要するのは精神的な攻撃にもなり得る。

 

「戦争について考えることを強要するのは〜」というくだりは、総合誌の特集企画のテーマの元に戦争についての文章を事実上「書かされる」ことを示しているのだろう。先に「石井僚一は〜文章を寄せている」と書いたが、どう表現しても石井の心情を汲み取った表現になはならなかった。

 

石井の主張は、どこまでも率直であり真摯であるが、本評は一首評なので詳しくは踏み込まない(高島裕による時評「〈意味〉に抵抗せよ」(『現代短歌新聞』2016年10月号)でも触れられていた。ご参考までに)。この石井の論に反応する形で、伊舎堂仁の歌が登場する文章があった。

 

 伊舎堂の歌を取り上げた石井ママ一は、他の2首(引用者注:木下龍也、瀬戸夏子の歌こと)と同様にこの歌を「軽い」とし、〈私〉がないという。しかし、この歌は確かに招待状の文面という体裁をとりながら逆に、あり得ない事態を示して大いなる皮肉を単純明快に言っている〈私〉が存在するのではないか。内容は決して軽くもない。

名嘉真恵美子「皮肉効いた招待状の文面」
(「沖縄タイムス」 2016年8月28日(日) 短歌時評)

 

 さて、私が三人(引用者注:木下龍也、伊舎堂仁、瀬戸夏子のこと)の歌に最も感じるのは、イマジネーションの欠如ということである。
(中略)
 伊舎堂歌―定型文ひねり王子の面目躍如。ただ、茶化してるだけみたいな感じもなきにしもあらず。
(中略)
 三者三様であり、修辞上の一歩の新も認めることができるが、「戦争」のイメージがほとんど立ちあがってこないため、読者は物足りないにちがいない。

喜多昭夫「それは誰にもわからない」
(『短歌研究』 2016-10 短歌時評)

 

石井僚一、名嘉真恵美子、喜多昭夫ともに、かなり限られた紙面のなかで、その一部として伊舎堂仁の歌に触れているため、残念ながらどのように読み解いたかのかが掴みづらい。

 

この歌を一読したときの印象はもちろん、短歌では見慣れない二重打ち消し線がある、ということであった。しかし、次の瞬間に思ったのは「◯がない」ということである。つまり、「出席」に◯が付いていないということだ。

 

「御」を消した。「御欠席」を消した。「出席」のしたに「します」と書き加えた。あとは「出席」の箇所に◯を付けるだけである、という最後の一歩であらためて手が止まる――第三次世界大戦終戦後懇親会ってなんだよ。それに参加するってどういうことだよ、と。でももうここまで書いてしまったら、出席しか選べないではないか。

 

私はそういう場面として捉えた。出席/欠席の自由が与えられている物事に対して、マナーやしきたりのような体裁に捕らわれたり、あるいは流されたりしているなかで、気がつけば自分自身が自分の選択を狭めていくような怖さ、と言葉にすると教訓めくが、そのようなものがじんわりと感じられて尾を引く。

 

「◯がない」ということと合わせて、もうひとつの「ない」がある。

 

一次会である「第三次世界大戦」への出席確認はどうなっているのだろうか。同じ返信用はがきに、「第三次世界大戦に御出席 御欠席」という記述があるのだろうか。あれば、どのように回答したのか。ないのであれば、「第三次世界大戦」への出席は強制なのだろうか。一次会と二次会、果たして伊舎堂仁は二度あらわれる、のか。

 

そう、この歌も「赤紙」の歌なのだ。

 

それはある日、歌集批評会のご案内のように気軽に届く。自由意志の時代だ。参加は自由だよ、◯×つけて返信してね、と。そこでは当然のように勝利が前提とされ、懇親会の開催がセットになっている。受け取る者は懇親会のことばかりで頭がいっぱいになって、そのはがきに何が書かれていたのか、そしてどんな色をしているかも気にならない。慣れた手つきで丁寧に「御」を消しているうちに、自らが自らを戻れないところまで追い詰めていく。

 

とすると、私自身は喜多昭夫が言うところの、「「戦争」のイメージがほとんど立ちあがってこない」ということは、むしろこの一首においては必然的なことであり、そこに要があるように思う。名嘉真恵美子の「あり得ない事態を示して大いなる皮肉を単純明快に言っている」の「大いなる皮肉」の部分には私は納得しつつ、「あり得ない事態」「単純明快」の箇所はもう少し複雑に捉えているようだ。石井僚一の論の主張全体にはうなづくところがあるが、「戦争というテーマを詠うとき、〈私〉は限りなく消滅に近づき、感情はどこにも至らない。」の例として伊舎堂仁の歌が適切だったのかは、疑問が残る。加藤治郎の解説文の説明とは「◯の有無」を考慮するかどうかの違いがある。

 

どれが〈正しい読み〉なのかは分からない。各人の捉え方に、各人の戦争観が反映されていて当然であり、やはり、読むという行為は、等しく読まれるという行為に他ならない。

 

私自身、塚本邦雄の赤紙の歌とそれを本歌とした加藤治郎の赤紙の歌、そして加藤治郎が監修をした伊舎堂仁の歌集に含まれた「赤紙」という語を含む歌、という文脈の先にこの一首を読んでいるはずだ。塚本邦雄の枕頭に届いた赤紙は、加藤治郎のもとにはメールで届き、伊舎堂仁のポストには往復はがきで届いたわけだ。

 

歌集『トントングラム』の帯には、「少し笑ってから寝よう。」と書かれている。伊舎堂仁の世界を的確に表すよい惹句だと思う。

 

――少し笑ってから寝る。そして起きた後、私に届いているものはなんだろうか。

 

枕のあたりを手で探り、携帯電話でメールを確認し、念ためポストも覗きに行く。

 

(〆「伊舎堂仁は二度あらわれる」おわり)