独楽は今軸かたむけてまはりをり逆らひてこそ父であること

岡井隆『禁忌と好色』(1982年・不識書院)

 

正月に、子どもたちが羽子板や独楽回しや凧揚げをして遊んだのはいつ頃までだったろう。この頃ではほとんど見かけなくなったが、歳末に押し入れを整理していたら、子どもが幼稚園で回していた傷だらけの木独楽が出て来た。たいへん懐かしかった。独楽を見ると必ず思い出すのがこの1首。引き合う力の均衡と緊迫、回転する力の孤高を具現している。

 

この歌は「家族抄」という連作の中にある。父と息子という家族内の対立関係を主題として、回り続ける独楽のありさまが、表現上の比喩になっている。主題と表現という言葉の上での均衡も、緊迫感を含んで、二重三重に絡みあって読者をひきつける。

 

家制度廃止後の戦後日本の家族は、家庭内における人間関係を大きく変えた。社会のなかでの家族の在り方もとめどなく自在になり、今では、岡井隆のような昭和一桁世代が家族間に保っていた距離感や対立意識や親和性を若い世代に説明することは、なかなかに困難だと思われる。

 

「逆らひてこそ父であること」というような対立は、実生活の局面で躓きを生んだにちがいないが、反面、人間の成長過程で強い自我をつくるための試練であったろう。軸が傾いても回ろうとする孤高な独楽の姿は寂しいが、あやうい力の集中と均衡はうつくしく感動的だ。今だからこそ、家族とは何なのか、考えさせる歌でもある。

 

「家族抄」には、次のような独楽の歌もある。

 

しづかなる旋回ののち倒れたる大つごもりの独楽を見て立つ

夕ぐれの大地に独楽を打ち遊ぶくれなゐのひも湿り帯びたり