光森裕樹


少しやさしくされると少し気になってしまう単純 靴下を脱ぐ

虫武俊一『羽虫群』(書肆侃侃房:2016年)


(☜1月20日(金)「靴下はなんのために (1)」より続く)

 

◆ 靴下はなんのために (2)

 

君にちょっと優しくされただけで急に意識してしまう。そんな自分に呆れつつ、気がつけば靴下を脱いでしまう――

 

「冬の距離感」という連作から引いた。私は、「結句の靴下を脱ぐ」という行為は無意識的な所作と読んだ。一首では意識的な行為とも解釈できるが、続の歌が続くからだ。

 

こんなところで裸足になってしまうから自分のこともわからないのだ

 

「こんなところ」というのがどこを指すのかは分からないが、例えば飲み会などの集まりだろうか。いずれにせよ、気になる相手は近くにいると思われる。

 

なんで自分はこんなところで靴下を脱いでいるんだよ。そんなことだから、相手のことはもちろん自分のことさえ分かっていないんだよ――

 

虫武俊一の二首を通して見てみると、相手が気になる→自分は単純だ→靴下を脱いでいる→自分はダメだ、と波のように想いは何度も自分に向けて打ち寄せる。その比喩を引き継げば、増田静の「なんでなんで君を見てると靴下を脱ぎたくなって困る 脱ぐね」は、自分を起点にどこまでも広がっていく波紋のような想いだ。

 

ともに気になる人の傍でわけも分からず靴下を脱ぎつつ、気持ちは内向的であったり外向的であったりする。その対象性が面白い。思えば、虫武俊一の歌の季節は冬、増田静の歌の季節は沖縄の夏である。そんな季節の違いも、歌に少なからぬ影響を与えていそうだ。

 

相手がいて、自分がいて、自分が靴下を脱ぐ。そんな歌を二首見てきた。次回は、〈相手の靴下〉に注目した歌を一首、紹介したい。

 

相手がいて、自分がいて、相手の靴下を――さて、どうするのだろう。

 

(☞次回、1月25日(水)「靴下はなんのために (3)」へと続く)