みづからを家の深くに進めゆく音せりよるの老い母の杖

中野昭子『夏桜』(2007年・ながらみ書房)

 

高齢者がふえ、家庭内での介護がもとめられ、近年では一般家屋でもバリアフリーが推奨されているという。わたしが母を介護していたのは十年ほど前のことだが、夜の廊下に響く母の杖の音を、何ともいえず寂しく悲しく苛立たしく聞いた。杖の音が聞こえるだけで、母が歩くときの背格好や機嫌の良し悪しまでわかる気がしたものである。暮らしを共にしていると、音は、物よりはるかに際限なく、空間領域を占有する。

 

と、いうようなわたしの体験をもとに、中野のこの歌に、老母への感情を読みとろうとしても、それはかなえられない。作者が、感情を第三者に伝えようとして作歌していないからだ。中野の歌には、第一歌集『草の海』から一貫して、構築的造型的な言葉の斡旋があった。鋭い認識によって現実を再構築するところに、きわだった特色がある。たとえば『草の海』の次のような歌。

 

雨水にすこしく河の膨るると想えるときに口のあきたる

わが母をおんなとわれが思いたるような沈黙 娘がするも

 

自己を一個のオブジェとして見るような自己の扱いが、今読んでもすこしも古くない。

 

『夏桜』は中野の第4歌集。初期に比べると手触りが柔らかいが、それでも客観の眼が確かさを感じさせる。「家の深くに進める」という認識が、固定した住空間を、どこまでも限りない、不可思議なひろがりの感覚へと転化する。