寒雀このあかつきのさへづりにおもてただしてわれはありたき

坪野哲久『桜』(1940年・甲鳥書林)

 

己の理想にむかって真直ぐに志を述べるという歌を、このごろあまり見かけなくなった。寒冷のきつい朝、書架の奥から、冷えて縮こまっていた歌集をとりだし、坪野哲久の歌を読み返したら、たいそう励まされた。

 

戦中から戦後にかけて、坪野はプロレタリア短歌の旗手として注目された。プロレタリア短歌は時代状況に密着していたので、時の流れるにしたがって理解や共感が難しくなり、読まれなくなってゆく歌が多いが、坪野の歌は時代をこえる言葉の力をもっている。

 

鳥の声が聞こえ寒い冬の朝が明ける。暖房器具の少ない昭和の冬は寒かった。空気がしみて、頬が板のように感じられたものだ。外界の厳しさは「われ」を明確に自覚させる。そこで、作者は「おもてただして」と、自己を奮い立たせるのである。奮い立たせているものは胸中に抱く志であろう。羽根を膨らませた「寒雀」のイメージが効いている。

 

『桜』には、次のような歌もあり、述志をささえる底に、人間愛・人間信頼が流れてことがわかる。それゆえ、時代をこえて、言葉がわたしたちに響くのだろう。

 

冬なればあぐらのなかに子を入れて灰書きすなり灰の仮名書き

むつかしき外面そとおもてなるを跳びすがりなにな父よと子はいづみなす

ビルのあひの寒きくもりをぬけくれば河岸かしにいのちの乞丐こじき焚火す