たどりつく浜の薊に羽根ひらきあさぎまだらは全身さらす

玉井清弘『屋嶋』(2013年・角川書店)

 

アサギマダラは、長距離を移動する蝶として知られ、春から夏にかけて北上し、秋になると南へ移動するそうだ。この歌は歌集の中で〈海越えてきたるを網にとらえたりあさぎまだらのまんだらの羽〉の次におかれている。一読すると、海を越えて旅をしてきた蝶が、薊に羽根を休めている場面のスナップショットのようにも読めるが、結句「全身さらす」に驚きと感動がこもる。

 

言われてみれば、動物も植物も「全身さらす」というようなことは滅多にないことだ。人間ならばなおさらである。蝶が薊にとまっている姿を「全身さらす」ととらえたところに歌の思想がある。それは、作者の抱えつづけた大きな主題につながっている。長旅の労をねぎらう情でもなく、蝶の美しさに見とれる趣向でもない。生きる命の酷薄を凝視する。生きることの非情といっていい。

 

玉井清弘には、初期のころから、〈遠きより輸送のはてにとまりたるトラックのドア開けられている〉〈行きあいて物はもいわず島の坂水桶さげてくだるおうなと〉(『久露』)など、「全身さらす」に通じる、仏教的諦観へ引き寄せられていくような眼差しがあった。

 

『屋嶋』は第8歌集。標題は、瀬戸内海に繰り広げられた、古代からの歴史を負った地名であるとともに作者居住の地である。