若狭より水を送りて大和にて汲みあげている春の仕来り

田井安曇(2016年・『『千年紀地上』以後』)

 

若狭からの水を汲みあげる行事は、東大寺のお水取り。3月13日、午前1時過ぎ、篝火と奏楽の中、堂童子、御幣を捧げ持つ警護役の講社の人たち「お水取り」の行列は石段を下り閼伽井屋(若狭井)に至り、若水を汲み内陣へ供える。お水取りは「魚を採っていて二月堂への参集に遅れた若狭の国の遠敷明神が二月堂のほとりに清水を涌き出ださせ観音さまに奉ったという」故事に由来するそうだ(東大寺HP)。若狭と大和の水脈がつながっているという背後の着想が、風水など、古代の思想をおもわせて興味深い。

 

神社仏閣の新年行事は、そこここに春の気配を感じさせて明るい。若水を汲み神棚へ供えて家内の無事を願うという、各戸で行われていた風習も、今日ではほとんど顧みられなくなった。が、想像するだけでも何やら聖なる気分がたちこめる。

 

歌集では、この歌を含む一連の前の章に〈若狭へ行く峠とうげのかかげたるかなしき合歓の花思い出づ〉があり、かつて訪ねて行った自分の記憶を思いおこしながら、古代の時間、自分の時間、また地理的な場所をめぐる水脈を、春の行事に重ねあわせている風情ある。「春の仕来り」は、作者らしい突き放し方だが、のびやかで明るく広がりのある歌だ。

 

田井安曇は「アララギ」「未来」を経て「綱手」を主宰した。政治と文学を結んで社会的意識に根差した独自性を貫いたが、2014年に亡くなった。遺歌集として『『千年紀地上』以後』がまとめられた。

 

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