眼にふれて時にひかるは春の日に蜘蛛の糸など飛ぶにかあるらし

村野次郎『樗風集』(1938年・香蘭詩社)

 

『樗風集』が短歌新聞社文庫によって再刊されたときの千々和久幸の解説によると、北原白秋は村野次郎を詩壇に推したのち「自らの内面的苦悩から門下生に対し、『諸君、私はかつて紫烟草舎解散の主旨をいよいよ貫徹せんがために茲に諸君と袂を別つ』という有名な『別れの言葉』を残して一時的に歌壇を去ることになる」とある。残された次郎は白秋を顧問に「香蘭」を起こした。白秋の高弟でありながら、今日では村野次郎の名前をあまり見ないが、品格のある薫り高い歌を残した。

 

掲出の一首、うらうらとした春の日に光るものがあり、蜘蛛の糸のようだという。「光」は村野次郎の大事なモチーフ。明るく伸びやかで、読後に印象派の絵を見ているような気分が残る。たっぷりと戸外の光を湛えた時空間を生む。「ひかるは」「にかあるらし」など、語の斡旋が文体に曲線的なうねりをつくり、それでいて言葉が流れていない。

 

もりあがる若葉のひかりあふりつつ青バス一つ走りてゆけり

かく居つつ安きが如し手の上に手はおきてゐてしばしねむりぬ

橋の上にあらはれ出でし支那の子の叫ぶと見れば逆立ちにけり

 

今日の短歌は口語的文体に覆われているが、切れそうで切れずに続く調子の、しなやかな短歌に立ち止まってみるのもいいだろう。