リストラというよりかつての日本語は端的率直馘首と記す

水野昌雄『硬坐』(2006年・砂子屋書房)

 

歌集標題「硬坐」は、日本でいう普通車のこと。中国の電車の等級である。歌集「あとがき」に、「日本の場合、普通車とグリーン車という名称だが、中国では硬坐、軟坐である。端的、明快である」「二〇〇六年の中国旅行では、ハルビンから長春、長春から瀋陽まで硬坐を利用したが、庶民的な日常生活を身近に感じられるものだった」とあり、さらに「短歌表現は軟質がふさわしいかも知れぬが、根底にあるものは硬質の土性骨こそよけれだ」とつづく。わたしも2006年の旧満州、中国東北部旅行に同行させていただき、硬坐、軟坐の表現にいたく感動しておられた水野昌雄団長を印象深く記憶している。後にまとめられた歌集で「端的、明快」が感動の要因だと知った。日本と中国の言葉=思考の対照をおもう。

 

敗戦によって中国からの引き揚げ者となった水野少年は、渡辺順三の「人民短歌」などを拠り所として短歌活動を開始、以降、民衆とともに歌う姿勢を崩さない。社会思想的内容とともに、ときにユーモアを生み、哀歓を包み込む歌柄はあたたかい。胸襟の広さが魅力的だ。

 

掲出の歌は、「端的率直」から「婉曲曖昧」さらに「隠蔽」へ移り変わってゆく言葉の変化をとらえたもの。言い替えられて見えなくなるものがある。一読、あまりの率直さが可笑しいが、見つめていると妙に悲しくなる歌だ。言い替えに、敗戦国日本の戦後が重なって感じられるからだろう。しかし、水野の歌は、冬晴れの空のように、端的、率直、明快。読者に凭れかかる重苦しさがなく、一首が一首だけですっきりと立っている。

 

「美しい若狭の海」の看板の向こうの岬の影にあるもの

少年の感情とあまり差もなくてとまどうしばしパン選ぶとき

まちがえし切符を瞬時に見分けたる機械が人の下腹を打つ