「駄目なのよ経済力のない人と言われて財布を見ているようじゃ」

松村正直『駅へ』(ながらみ書房:2001年)


(☜4月3日(月)「人から見た自分 (4)」より続く)

 

◆ 人から見た自分 (5)

 

歌集『駅へ』の最初の連作「フリーター的」から引いた。あとがきや歌集の構成などから考えると、1996年の26歳あたりの歌となるのだろうか。
 

フリーターですと答えてしばらくの間相手の反応を見る

 

「フリーター的」の最初一首、つまり歌集の冒頭を飾る歌だ。「飾る」と書いたが、華やかな歌ではない。「何をしていらっしゃるのですか?」という人からの質問に「フリーターです」と答える。思わぬ答えに驚く人もいれば、それを聞いて態度を変える人もいるのだろう。品定めされるのは気分のいいものではない、しかし、じっと相手の様子を伺うこちらもまたある意味で品定めをしている。お互い様、というわけである。
 

連作をどう読み返してもフリーターであるのに、タイトルは「フリーター」ではなく「フリーター的」である。「的」の部分にちょっとした屈折を感じる一方で、自ら選んだ生き方は他者のそれとは厳密には違う、という自負も感じるのが不思議である。
 

しり取りをしながらふたり七色に何か足りない虹を見ていた

 

掲出歌のひとつ前の歌である。恋人か友人かは分からないが、虹を見上げながら仲の良い二人がほのぼのとしり取りをしている。一見すると幸せそうな雰囲気ではあるが、虹に違和感を感じているように、二人の関係にも完全と呼ぶには何か足りないことを予感させる。
 

「駄目なのよ経済力のない人と言われて財布を見ているようじゃ」

 

しり取りの相手の言葉が、掲出歌の台詞なのだろうか。そうでないとしても、身近な人の台詞であると読んで問題ないだろう。部屋探しや職探しの場なのか、あるいは日常の会話のなかでのできごとだろうか、「経済力のない人」という言葉に反応して、おもわず自分の懐具合を勘定してしまう。そんな自分の様子を、相手は見逃さずに「駄目」と指摘する。
 

おそらくは、つい懐具合を考えてしまう自分自身の在り方よりも、身近な人に駄目だと指摘されたことのほうが、こころに響いたのだろう。
 

世の中の誰かに「経済力のない人」と見られるよりも、ほかならぬ人に「駄目な人」と見られることのほうが辛い。だからこそ、その台詞がそのまま一首になっているのだ。
 
 

(☞次回、4月7日(金)「人から見た自分 (6)」へと続く)