雲よむかし初めてここの野に立ちて草刈りし人にかくも照りしか

窪田空穂『まひる野』(1905年・鹿鳴館)

 

花のなかで桜や辛夷がとくに注目されるのは、そのむかし、桜や辛夷の開花時期によって農耕のすすみ具合を推し測っていたからである。今に残るさまざまな風俗習慣、また風土に残る伝承には、伝承それ自体に記憶され継がれてゆく何かがある。

 

桜の季節が過ぎると農耕にたずさわる人々は忙しい。都市住民の日常からは遠くなってしまったが、今の季節の田畑の間を歩くと、作付けにそなえる黒々とした土の静まりがある。先日、花見をかねて荒川の土手まで散歩したら、田んぼではもう土起こしが始まっていた。両側に田畑の広がる道を歩きながら空穂のこの歌を思った。

 

窪田空穂は信州松本の農家に生れた。東京に出て学業を積み文筆活動にたずさわった。国文学研究者であり歌人であり文藝批評家。しかし、空穂は生涯、「百姓の子」としての矜持をもち、篤農家の父を尊敬しつづけた。<志あたらしかれと教えつつおのれ畑打ち父はおはしき 『濁れる川』>とも歌っている。

 

引用歌は、「雲よ」と呼びかけ、以下は胸中に動く思いである。自身も祖先たちが培い育んできた風土に、生きて繋がっているのだという誇りが感じられる。

 

『まひる野』は自然主義を通過する前の、浪漫的な香りを濃くたたえた空穂の第一歌集であるが、この、「あたらしかれ」を保ちつつ継承するという思想は、短歌の活動においても重んじられた。