朝に飲むコップの水のうまきこと今飲むごとく話す父はも

内藤明『虚空の橋』(2015・短歌研究社)

 

一般に家族は、得難い無償の情愛を育む場という面が強調されがちである。確かにその通りではある。しかし、だからこそ、実際の家族間の感情は一通りではなく、他人であればやり過ごしてしまうような瑕瑾が許せなかったり、原因不明の感情の迷路に入り込んで抜け出せなかったりで、葛藤を引き起こすことも多い。

 

『虚空の橋』は、如何なる事情からか「東京の郊外に住む両親とは何十年も深いかかわりなく過ごしてきた」(「あとがき」)作者が、相次いで両親を亡くした期間を、時間軸にそって編集したものである。日々のつぶやきが時間の流れをつくっている。傍目には何ということもない日々を歌っているように見えながら、読み進むにつれて、思いが重なって濃くなり、生の重さを感じさせる。引用歌はそうした中の一首。作者みずから「私小説風の小さな物語」といっているように、両親の他界を契機とした、蟠りの溶解を、一冊の主題としているように読める。志賀直哉の『暗夜行路』をちょっと思い出した。

 

この歌は、老父が息子に、無邪気に水の味を説明している姿を彷彿とさせる。何の隔たりもなく心の裡を話して聞かせる父を、聞き手である息子もそのまま受容している。「水の味」である点が、実にいいと思う。透明感があり日常的で温かく、また哀しい。父子の心情に通うようだ。

 

灯の下に開きて覗く紙袋何もなければ息を吐き込む

低く釣るこの梵鐘はゆふぐれに地を震はせて鳴りいづるとふ

 

<喪失の後に現われる心>の大切さを思った。