浦の名をうなゐに問へば知らざりき少女に問へば羞ぢて答へぬ

服部躬治『迦具土』(1901年・白鳩社)

 

「房州百首」として収録された一連の3首目、旅の歌である。海岸を歩いていると、土地の女の子に出会い、ここは何という名前の浦かと尋ねた。「うなゐ」すなわち幼い女の子は、知識を持たないのか質問を解さないのか、知らないといい、すこし年長の「少女」ははずかしそうに答えたという。明治33年の作歌。ラジオもテレビもなかった時代、余所人もめったに来ない鄙びた土地でのことである。子どもたちは答える術を持たなかったのかもしれないが、素朴な「うなゐ」と、はにかみを知った「少女」の表情の違いをとらえて、対比が鮮やかだ。旅人ならではの視線がはたらいているのだろう。

 

作者は、地図を片手に地名を辿る、というようなことをしない。次の歌で「たどりゆく浦おもしろみ浦の名をわれ試みに附けむと思ひつ」となる。風景に似合う地名を自分でつけてみようじゃないかと思い立つのである。何とものんびりと楽しそうな旅である。

 

長閑なのは情景だけではない。近代の短歌が、時代に即応する詩歌として旧派が新派に移行してゆく過程で、いまだ旧派の気分や文体を宿しつつ、ほんのりとした感触をもつ。

 

少女子の手よりのがれて転びゆく鞠のゆくへを逐ふ小犬かな

芝原にはつはつ萌えし若草を踏まじふまじと子らのありける

雪ふみて紙屑拾ふ幼子の家をし問へば家は無しといふ

 

このような歌もあって、子どもをとらえる視線が印象的。服部躬治は福島に生れ、上京して「あさ香社」に入り、尾上柴舟・久保猪之吉らと「いかづち会」を創設し、新しい時代の歌を目ざした。