すべからく落つるべき子が落ちしかな大田区池上むかしの肥溜め

島田修三『帰去来の声』(2013年・砂子屋書房)

 

「肥溜め」などと言ってイメージが浮かぶのは、どの世代までだろうか。どのように説明するものかウィキペディアを見ると「伝統的な農業設備の一種。農家その他で出た屎尿を貯蔵し、下肥(しもごえ)という堆肥にするための穴または、大きめの水瓶」とあり、これではなかなか伝わらないだろうと思う。「大田区池上」も、今は東京の住宅街だが昭和30年代の東京郊外は、まだ農地が多く、したがって畑の隅に掘った穴に人糞を溜めておき肥料としていた。ときどき粗忽な子供や今でいう認知症の老人が落ちた。東京郊外で、同じような環境に育った同世代のわたしにとっては、何とも懐かしい光景である。並んで【衛生を尊ぶ善き子でありしかば山下公園におでん喰わずき】ともあるがこれも懐かしい。子どもにとっても大人にとっても、生活は危険に満ちており、汚く不衛生であった。

 

『帰去来の声』には、夥しい数の固有名詞が出てくる。作者の知識の広さを思わせる。あまりに個人的で調べようのないものもあるが、解からなくても、一首の中で強く機能しており、太い柱をデンと打ち込むような揺るぎなさを生んでいる。手業の冴えるところだ。

 

いっぽうに強靭な手業があり、いっぽうに昭和の時間への深い郷愁がある。そうした同時代人として、「すべからく落つるべき子」は歌われている。だから、島田修三のとらえる出来の悪い人間たちは愛すべき人々である。

 

或るときは「ビローン」と言ひて霜焼けの昭和児童を欣喜せしめたり

藪から棒に哄笑しながら現るる「月光仮面」を不審とせざりき

これの世を小沢昭一もおのづから去りていよいよ歳晩である

 

ああ、そうだ、そういう隣人がいたなあと、同時代人への愛しさを思い出す。