わが脚が一本草むらに千切れてゐるなど嫌だと思ひつつ線路を歩く

石牟礼道子『海と空のあいだに』(1989・葦書房)

 

水俣病を描いた『苦海浄土』の著者石牟礼道子の出発点に短歌があったことを、わたしは最近まで知らなかった。歌集『海と空のあいだに』には昭和19年から昭和40年までの短歌が収録されている。以後、短歌から遠ざかったというが、歌集末尾の「あらあら覚え」には、心理的苦闘の表現として熱心に取り組んだ様子が綴られている。

 

引用歌は、作者の20歳前の作品。死を考えながら線路を歩いている。上句の強烈な死のイメージとは逆に、生きることへの本能的な思いがひりひりと感じられる。青年期特有の不安定もあるが、死の臭いが社会の局所に浸み込んでいる時代であったのだろう。きっぱりとした意志の表明が、読む者の胸に食い込んでくる。

 

石牟礼は「歌というものは、生きる孤独に根ざしている」(「あらあら覚え」)という。人間の深い孤独にじっくりと向き合うこと。それがあって、思想や社会の問題に渾身で取り組むことができたのだろう。

 

白き髪結えてやれば祖母おほははの狂ひやさしくなりて笑みます

人間のゐない所へ飛んでゆきさうな不安にじつと対きあつてゐる

さすらひて死ぬるもわれも生ぐさき息ながくひく春のひた土

 

歌には当時の歌壇の影響が濃く感じられ、抽象性の高いものが多い。この世で生きる人間の暗闇を生々しく感じさせる。