亡き人を語りて書きてそののちにもつと本当のことを思ひ出す

米川千嘉子『吹雪の水族館』(2015年・角川文化振興財団)

 

ある程度、人生の時間を経ると周囲で亡くなる人が増える。それは、徐々に増えるのではなく或る時どっと増えるような気がする。自覚しなかったものを強く意識するためだろう。残り時間への思いが濃くなるのかもしれない。

 

先人知人友人が亡くなると、生き残った者たちは、それぞれの立場から「亡き人」を総括する。「亡き人」が歌人であれば歌人論がそこから始まる。「亡き人」は「死」と同時に「史」のなかの人となる。掲出の歌には、歌人論とは書いてないが他の場合でも大きくは違わないだろう。

 

この歌の「語りて書きて」は、歌人論で言えば情報整理。まあ、この辺りはおさえておかなければならないという基本事項だろう。それとは別に「本当のこと」があり、情報整理を契機に、もう少し深いところに「本当のこと」は探り当てられる。必ずしも書かれる側の「亡き人」に、都合のよいこととはかぎらない。わたしはこの歌を、「本当のこと」の存在、また「本当のこと」の重さを受け止めようとしている一首と読んだ。軽々に言葉を発せず、思考をほりさげてゆく作者らしい。

 

加茂水族館出でて吹雪へ帰りゆく人のからだは角度をもちて

神さま、とつぶやいたこと二度ありぬ くちまで布団を持ちあげ思ふ

息子の電話短く切れて明るかりそののち幼き息子と話す

 

事象の奥の生を見ている作者がいる。