親馬に添ひて野を来る仔馬見ゆ親はかなしきものにかもあらむ

松村英一『河社』(1952年・長谷川書房)

 

松村英一は昭和12年7月に樺太に渡った。先ごろ刊行された『改訂版 松村英一全歌集』(2016年・新星書房刊)の年譜によれば「滞在十日余、国境線に感激。岡田嘉子ら脱出の五ヶ月前のことであった。盧溝橋事件がこの間に起き、帰途、応召の青年達と一緒に連絡船に乗った」とある。旅先の歌の多い作者らしく、本土とは異なる風土や習俗を多く読み留めた。次のような歌もある。

 

亡びゆく民族といふただ二人異なる習慣の中にありて生く

風葬ふうさうはギリヤーク族の儀式にて小さき柩松が枝に吊る

直線路のびてソ領にはるかなり大き秘密に対ふ心地す

 

掲出の歌は樺太という主題をちょっと離れて、しみじみとした親子の情を馬に託して歌っている。松村英一は、わたしたちが描く家族像からみれば、恵まれた環境だったとはいえない。11歳で叔母の嫁ぎ先の商店に小僧奉公に出された。当時はけっして珍しいことではなかったが。

 

この歌は、十代になったばかりで他家へ入った作者が、旅先で出会った馬の親子を歌うことで、自らの心の裡を見つめているように思う。旅は、その地の風物に出合う喜びとともに、自らを見つめ直す契機でもある。尚、この歌を含む「樺太雑詠」については、松村正直評論集『樺太を訪れた歌人たち』(2016年・ながらみ書房)で詳細に論じられている。